はじめに
2025年6月3日、
日本に元気を与えていたスーパースターである
ミスタープロ野球「長嶋茂雄」さんが永眠されました。
その存在は、野球ファンのみならず多くの日本人に愛されてきました。
巨人はキライでも、長嶋茂雄さんをキライという日本人はいないのではないでしょうか。
ここでは、長嶋茂雄さんの功績、そして彼が残したものについて、まとめてみました。
🌟 プロフィール
-
生年月日:1936年2月20日
-
出身地:千葉県印旛郡臼井町(現在の佐倉市)
-
出身校:立教大学
-
ポジション:三塁手(サード)
-
所属球団:読売ジャイアンツ(巨人) 一筋
⚾ 主な経歴と功績
【現役時代(1958〜1974年)】
-
1958年、立教大学からドラフトなしで巨人入団。
→ デビュー戦でなんと金田正一投手から4打席4三振という衝撃スタート。しかしそこから一気に成長。 -
その後は走攻守揃ったスター選手として大活躍。
-
通算成績:
-
打率 .305
-
2471安打
-
444本塁打
-
1522打点
-
首位打者 6回
-
本塁打王 2回
-
打点王 5回
-
-
巨人の V9(9年連続日本一 1965〜1973年) に大きく貢献。
-
チームメイトの 王貞治 選手とのコンビは「ON砲」と呼ばれ、日本プロ野球史に残る黄金時代を築きました。
【監督時代】
-
巨人軍の監督を2度務める(1975〜1980年、1993〜2001年)。
-
**1994年には「10.8決戦」**と呼ばれる伝説のシーズン最終戦で中日ドラゴンズを破り、リーグ優勝。
🏅 愛されるキャラクター
-
明るい性格と華やかなプレー、常に「ファンあっての野球」という姿勢。
-
プレースタイルは「魅せる野球」「芸術的な守備」。
-
解説時の独特な言い回しや天然な名言・迷言でも親しまれています(例:「メークドラマ」など)。
🌸 なぜ「ミスタープロ野球」?
-
日本のプロ野球の国民的ヒーロー。
-
野球人気を大きく押し上げ、プロ野球界全体の顔としての存在感。
-
野球を「ただのスポーツ」から「国民的なエンターテインメント」に押し上げた功績。
-
そのため「ミスタープロ野球」という愛称で呼ばれるようになりました。
⚾️ 【名言集】
① 「野球は人生そのものだ。」
👉 人生の喜怒哀楽すべてが詰まっているという思い。
野球を心から愛し、野球を通して人生を語ってきた長嶋さんらしい言葉。
② 「失敗しても、また挑戦すればいいんだよ。」
👉 誰にでもわかりやすく、前向きな姿勢を説いた言葉。
現役時代、華やかに見えて実はミスや挫折も多く経験してきた長嶋さんならではの重みがあります。
③ 「ファンは神様です。」
👉 いつもファン第一主義だった長嶋さん。
野球が人気スポーツになったのはファンのおかげ、という心からの敬意を表した一言。
④ 「スランプ? それは前進するチャンスですよ。」
👉 スランプを**ネガティブではなく「成長の機会」**と捉える姿勢。
多くの若手選手を勇気づけた言葉として知られています。
⑤ 「勝負の世界に奇跡はない。準備こそが奇跡を呼ぶんだ。」
👉 一見「天才型」と思われがちだったが、実は陰での努力家だった長嶋さん。
だからこそ言える説得力のある名言。
⑥ 「メークドラマ!」
👉 1996年シーズン、巨人が大逆転優勝を狙う中で発した造語的なフレーズ。
「Make Drama(ドラマを作る)」が語源。
以来、日本のスポーツ界で逆転劇の代名詞となった名フレーズ。
⑦ 「野球っていうのはね、見る人を感動させるものなんですよ。」
👉 野球は勝ち負けだけではなく、魅せること・心を動かすことが大切という信念。
⑧ 「野球は楽しくなきゃダメだよ。」
👉 プレッシャーの多いプロ野球の中でも、楽しむ心を忘れない。
今でも多くの指導者が大切にしている教えです。
💡 【おまけ】天然・迷言系エピソード(ファンの間でも有名)
-
「バントの構えからヒッティングにいく、その時は『サッ』と行くんですよ、サッと!」
-
「スイングはね、こうシュッとこう、パーンとこう!」
-
解説時:「今のはですね、え〜っと、まぁ、その〜、打ったんですね!」
→ その独特な表現・身振り手振りが「ミスター節」として親しまれています😊
🏅 MVP受賞歴
-
通算5回受賞(セ・リーグ記録の一つです)
年度 | 受賞回数 | 備考 |
---|---|---|
1958年(1年目) | 1回目 | 新人王&MVPダブル受賞(史上初) |
1961年 | 2回目 | チームのリーグ優勝に貢献 |
1963年 | 3回目 | 打率・本塁打・打点などで圧倒的成績 |
1966年 | 4回目 | V9時代の初年度、主力として活躍 |
1971年 | 5回目 | V9中盤、円熟味を増したプレー |
✅ 新人年(1958年)のMVP受賞は特に衝撃的。
→ プロ入り1年目でいきなり首位打者&MVP&新人王という快挙!
→ これが「ミスター・プロ野球」伝説のスタートでした✨。
✅ **V9時代(1965~1973年)**にはチームの屋台骨として活躍。
→ MVP受賞年以外でも常にチームの中心選手。
→ MVP5回は現在でも歴代トップクラスの記録です。
🏅 オールスター
⭐️ 出場歴
✅ オールスターゲーム出場回数:
👉 17回出場(1958年〜1974年 ※現役17年間すべて出場!)
これは プロ入りから引退まで一度も途切れずオールスター選出という、極めて異例・偉大な記録です。
→ それだけ 毎年「スター選手」として絶大な人気と実力を保っていた証拠ですね。
🏆 オールスターでの成績(通算)
項目 | 通算成績 |
---|---|
試合数 | 52試合 |
打率 | .291 |
安打 | 50本 |
本塁打 | 8本 |
打点 | 24打点 |
盗塁 | 5個 |
※ 当時のオールスターは 年間3試合制が基本だったため、現役17年で52試合出場しています。
🎖️ 特記事項・記録
✅ オールスターMVP獲得:
👉 通算5回(歴代2位タイ)
→ これはオールスター史でも 極めて多い部類です。
✅ 初出場(1958年)から華麗なプレーで観客を沸かせた。
→ 「魅せる野球」が長嶋さんの代名詞。
✅ 勝負強い打撃・芸術的な守備で毎年話題をさらう。
✅ ファン投票トップ当選常連 → 国民的人気の象徴。
🔥 印象的なエピソード例
1️⃣ 1963年 第2戦
→ サヨナラヒットで MVP受賞 → 全国ニュースに。
2️⃣ 1971年(35歳)
→ なおも衰えぬ打撃でホームラン → ベテランの貫禄MVP。
3️⃣ オールスターでの 三塁守備は必見 → 「魔法のグラブさばき」と称賛された。
🏅 日本人シリーズ
🌟 日本シリーズ出場歴
✅ 日本シリーズ出場:14回
👉 14回中11回日本一達成(驚異の勝率!)
👉 1965年〜1973年 V9時代の 9連覇すべてに貢献。
👉 まさに「日本シリーズ男」とも言える存在でした。
⚾️ 日本シリーズ通算成績
項目 | 通算成績 |
---|---|
試合数 | 86試合 |
打率 | .343(シリーズ通算3割4分3厘!) |
安打 | 117安打 |
本塁打 | 9本 |
打点 | 66打点 |
🎖️ 特記事項・記録
✅ 通算117安打は当時のシリーズ歴代最多記録(現在も上位記録)。
✅ 通算打率 .343 → 日本シリーズでは異常な勝負強さ!
✅ MVP受賞:2回(1963年、1966年)
✅ V9時代は精神的支柱かつ攻守の要として活躍。
✅ プレッシャーが最もかかる舞台で**「魅せるプレー」「勝負強さ」が際立っていた**。
🏅 年別主な出場・優勝歴
年 | 日本シリーズ結果 | 備考 |
---|---|---|
1959 | 準優勝 | 初シリーズ出場 |
1961 | 優勝 | 初日本一 |
1963 | 優勝 | MVP獲得 |
1965〜1973 | 9年連続優勝(V9) | 黄金時代・常勝軍団の顔 |
1974 | 準優勝 | 引退シーズン、最後の日本シリーズ出場 |
🔥 印象的なエピソード例
1️⃣ 1963年 日本シリーズMVP
→ 圧巻の打撃で日本一に貢献。
→ 当時「シリーズ男」と呼ばれ始める。
2️⃣ 1966年 日本シリーズMVP
→ 守備・攻撃ともに神がかった活躍 → V9初年度の象徴的存在に。
3️⃣ V9中盤
→ 王貞治さんとの「ON砲」で相手投手陣を震え上がらせた。
→ 長嶋さんの守備が「日本シリーズの空気を変える」とまで評された。
伝説「天覧試合」
🌟 天覧試合とは?
✅ 1959年(昭和34年)6月25日
✅ 後楽園球場
✅ 巨人 vs 阪神戦
👉 昭和天皇・香淳皇后がプロ野球試合を公式に初観戦した歴史的な試合。
👉 これが「天覧試合」と呼ばれる由縁です。
※ それまで天皇陛下が野球を直接観戦することはなく、**この日が日本野球史上初の公式「天覧」**でした。
⚾ その試合内容
✅ 試合は緊迫した接戦。
✅ 9回裏 4対4の同点 → 迎えた 巨人の攻撃。
🔥 長嶋茂雄、決勝ホームラン
-
9回裏、2アウトランナーなし。
-
打席に立つは当時 プロ2年目(1959年)の長嶋茂雄。
-
相手ピッチャーは 村山実投手(阪神のエース)。
→ この対戦は当時から **球界を代表する「宿命の対決」**とされていた。
✅ フルカウントから…
✅ 長嶋が レフトスタンドにサヨナラホームラン!!!
✅ 巨人 5-4 阪神 → 劇的なサヨナラ勝ち
✅ 天皇皇后両陛下がご覧になる中での劇的な幕切れ。
👑 このホームランの意味・インパクト
✅ 一夜にして「国民的スター」に。
✅ 翌朝から新聞は一面トップ報道 → 社会現象レベル。
✅ 天覧試合自体が「国家的ニュース」だったため、長嶋のホームランは 国民の記憶に刻まれた瞬間。
✅ 「長嶋=劇的男」「ミスタープロ野球」伝説の始まりとなった。
📝 その後の語り草
✅ **「村山実 vs 長嶋茂雄」**はこの試合をきっかけに永遠の名勝負と語られるようになった。
✅ 村山さんは後に「あれが人生で一番悔しいホームラン」と語った。
✅ 長嶋さんは後に「あれは野球の神様が降りてきた瞬間だった」と回顧。
✅ 球界では今なお「日本プロ野球史上、最も美しい一打」とも評される。
さいごに
これも超有名な伝説の「引退スピーチ」。
アナウンサー:
輝かしき背番号3、長嶋茂雄。
17年間、燃える男の舞台となった、この後楽園球場のマウンドに向かっております。
輝かなスター、長嶋。
華麗なる大スター、長嶋。
プロ野球の象徴として、栄光を一身に集めてきた長嶋選手。
その長嶋選手が人生のひとつの地図を力一杯生き抜いて、
今、新たな実りの季節へと向かって、出発しようとしております。
長嶋選手、お別れの挨拶でございます。
(ヤジ・拍手)
長嶋茂雄氏(以下、長嶋):
昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために、
絶大なるご支援を頂きまして、誠にありがとうございました。
(拍手)
長嶋:
皆様から頂戴致しましたご支援、熱烈なる応援を頂きまして、
今日まで、私なりの野球生活を続けて参りました。
今ここに、自らの体力の限界を知るに至り、引退を決意致しました。
振り返りますれば、17年間にわたる現役生活、いろいろなことがございました。
その試合をひとつひとつ思い起こしますときに、
好調時は皆様の激しい、大きな拍手をこの背番号3を、さらに闘志を掻き立ててくれ……。
(拍手)
また、不調なとき、皆様のあたたかいご声援の数々のひとつに支えられまして……。
今日まで支えられてきました。
不運にも、我が巨人軍はV10を目指し、監督以下、選手一丸となり、
死力を尽くして最後の最後までベストを尽くし闘いましたが、
力ここに及ばず、10連覇の夢は敗れ去りました。
(ヤジ)
私は、今日、引退を致しますが、
我が巨人軍は永久に不滅です!
(拍手)
今後、微力ではありますが、
巨人軍の新しい歴史の発展のために、
栄光ある巨人が明日の勝利のために、
今日まで皆様方から頂いたご支援、ご声援を糧としまして、
さらに前進して行く覚悟でございます。
長い間皆さん、本当にありがとうございました。
(拍手)
アナウンサー:
力強い、本当に力強い、長嶋選手お別れの挨拶でございました。